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DVD「古代史研修ツアー シーズン2 第1回《九州前編》」
「神宮皇后に始まり
神宮皇后に終わる日本の始まり」
九州・福岡編
九州地方は太古の昔から『九州』と呼ばれていたわけではありません。
元々は『筑紫の国』『豊国』『火(肥)の国』『日向の国』の4つの国で構成され、
『四国』と呼ばれ『畤国』や『斎国』とも呼ばれていたそうです。
そこに『阿波国』『讃岐国』『伊予国』『土佐国』の4つの国で構成された
『四国』(『祉国』や『喜国』等)を足すことで、
8つの国になることから、それを『八州』(『屋島』『八島』とも表記される)と呼んだそうで、
古き世から栄えていたと云います。
なお、『八州』から現在の『四国』を分けて、単独で『九州』と呼ぶようになったのは
『天照大神』が『阿波国・八倉比売神社』で自身の葬儀を行い、
その名を捨て『卑弥呼』(『日巫女』が正式らしい)と名乗り、
九州地方を統一したときに『筑前』『筑後』『豊前』『豊後』『肥前』『肥後』『日向』『薩摩』『大隅』の九つの『州』に分け、
『肥後』に『高千穂』を加えて直轄領とし、それ以外を直轄配下の八人の巫女に統治させたことに始まると云われています。
因みに、この九つの『州』から『肥後』を引いた残りの八つの『州』を統治したとされる、
『卑弥呼』の下でそれぞれの『州』の統治を任されていた8人の僕のことを
『八女の巫女』と呼び、『卑弥呼』が九州で最初に拠点とした場所を『八女』と呼んだそうです。